2016年12月14日

エセ歴女のしったかぶり

フェイスブックのほうにコメントがあったので
えらそうに、しったかぶっちゃって、少し書こうと思います。

大阪夏の陣には、いくつかの戦いがありましたが、やはり最大の山場は、「道明寺の戦い」でした。
真田信繁(以下、幸村とします)は、
ここで後藤又兵衛を失くし、豊臣の敗けを現実のものにしたと思います。

この戦で、幸村が直接戦ったのは、伊達軍で、伊達政宗の側近の「片倉小十郎」でした。
(小十郎は、政宗の悪い目玉をくりぬいた話も残っている側近で、政宗より10歳年上の勇猛な男。
 政宗の養育係りが小十郎の姉で、身内の愛情が少ない政宗にとって、
 小十郎との関係兄弟・親子以上のきづながあったと思われます)

その小十郎が、政宗に先がけて、鉄砲で幸村と激しい戦いをした。
その時、幸村も小十郎も、互いにその戦いぶりに武将としての器の大きさを感じ入ったと思われます。
敵ながら、アッパレ!と。
そして幸村は愛する子供たちを小十郎に託し、
小十郎も、幸村の思いを受け止めて、家康から幸村の子供たちや真田の家臣を守り抜くのです。

この時代の武将の眼力というか、人を見ぬく力の凄さと、義をつらぬく凄さは、
私の想像をはるかに超えるものです。
もしもバレたら、切腹だけでは済まされず、
片倉の家も、ヒョットシテ伊達家さえもおとりつぶしになるやもしれないのですから。

これと同じような話は、大谷刑部の側近・湯浅五郎と藤堂高刑にもあります。
当ブログの昨年の9月15日(武士の約束)を、読んでいただければいいかと。

  幸村の娘のお梅はその後、小十郎の正室にもかわいがられ、正室亡きあとには、
  小十郎の継室となって、真田の名を汚さず、家来たちに慕われ、片倉家を守っていきます。

いかがでしょうか?こんな程度でよろしいですか?
ご質問の、信之の元正室や、側室きり、などについては、話が長くなるので、いずれまた・・・・。
またいろんな裏話などは、お目にかかった時に。
posted by パッサカリア at 13:07| Comment(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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