2017年08月02日

パリを愛した洋画家

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   愛知県出身の洋画家「荻須高徳」は、
   パリを愛し、パリに死んだ人です。
   ユトリロのようなパリの街並みを
   多く描いたその画家の「荻須記念美術館」が、
   名古屋近くの、稲沢市にあると聞いたので、
   車を走らせました。

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   絵の具を
   おしみなく使った
   濃厚な絵画が
   私を出迎えてくれました。
   その絵たちに、人の気配があまりないのですが、
   決して寂しくないのです。不思議な感じがしました。

   小さな展示室には、
   絵がしまってある引き出しがあって、
   壁に、「ご自由に開いてください」の札が。
   恐る恐る開いてみると、鉛筆画のような絵。
   一段目も二段目も三段目も・・・・・
   こんないたずらっぽい展示の仕方、面白い。
   
   ムシムシとした天気の中、蝉の声だけが元気な昼下がり。
   入館者は私だけ。ずいぶんと贅沢な時間でした。

   
posted by パッサカリア at 23:07| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

読書こぼれ話

宮部みゆきの平成お徒歩日記の、八丈島送りを読むうち、
自称・歴オバのわたくしめは、
八丈島へはいったいどんな人が、送られてきたのか興味がわきました。
まるで、こぼれたものを拾うように〜〜〜調べてみました。

なんと〜流人第一号が、豊臣五大老の一人、宇喜多秀家とその息子二人。

戦に負ければ、武将の末路は「死」しかなく、関ヶ原で負けた宇喜多秀家も例外ではありません。
・・・が、秀家の正室・豪姫は、実家の前田家の力を借りて、徳川に秀家の助命を願いでた。

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  なんとか死を免れ、
  八丈島へ流されることとなった秀家には、
  おつきの人や乳母や医師までつけていたとか。
  そして、前田家から、お金・米、食料品や衣類なども、
  定期的に送られていたとか。
  そしてそれは、秀家が亡くなるまで50年間続いていた!
  ・・・・と思いきや、いえいえ、なんと〜〜
  明治になるまで続いたといいます。

  ここで歴オバの私メが思いますに、
  この送り続けた行為は、前田家の罪滅ぼしではなかったか・・・と。
  豊臣五大老になった宇喜多と前田。
  共に、豊臣家存続のために力を合わせようとした者同士であったはずなのに、
  結局、徳川になびいたふうになった前田家は、秀家に後ろめたい気持ちが絶対あった!
  秀家は秀家で、前田、裏切者〜〜!と思ったでしょう〜〜。
  八丈島へお金や米をおくることなど、何ほどのものでもない、当然だろう、と。

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  ・・・・・はてさて、調べていくうちに、
  吉原の遊女が一人、その8年後に、また一人
  八丈島へ送られたことを知りました。共に、15歳。
  その罪状は? 二人はどうなっちゃったの?  
  知りたいでしょっ?!
  ・・・・この話は、いずれまた。

  長いこと、私の趣味にお付き合いくださり、ありがとうございました。
   
posted by パッサカリア at 00:11| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする